悪いがそれ、僕が十年前にやったことだ。当時、誰も手掛けておらず、僕の独壇場だった。今頃やったって、おもしろくないだろ。テーマがないよね。僕はテーマを求めて、とっくにその延長線上にある新しいことをやっている。(2022.12.2)
7年ほど前、未完に終わった企画の素材を改めて見直す機会があった。そこに確かにあったのは「生」。生きている「生」及び生々しい「生」。
見終えた後、吹っ飛んだ昔の友がやって来た。あえてこの言葉を使うが、ヤツは狂人的に頭がいい。その反動で、生業としていることの真逆のことをやりたがる。実際、やってしまっているようだ。つまり、真ん中がない。常識がないとも言えるかもしれない。
そうか、常識を呪えということか。来年の僕のテーマにするとしようか。いや、無理だろうな。君を見ていると、そう思うんだよ。僕は振り子の幅がもっと狭い。
あはっ、付き合いきれないヤツ。(2020.11.24)
昔の同級生を見ていて、結局は落ち着くところへ落ち着いている。俺はというと、似合わないことやってらぁと思ったりもするが、俺もまた、概ね似合ったことをやっているということだろう。
さて、ある知人の女性。他の人なら「そんなこと、たいしたことじゃないじゃん」、おそらくそう言うであろうことに対し、彼女は、「そういうのって、意外と大事なことだったりするんだよね」、そう言ってくれた。その一言が嬉しかった。救われもした。そう、僕にとっては大事なこと、それを直感的に理解してくれたから。
来年、東京へ進出する。あはっ、彼女と組んで仕事ができたら面白いだろうな。おそらく、いずれそうなるに違いない。今はまだ予感だけど。(25.8.7)
勝負したくないヤツはやめておいた方がいい。
あるサイト作成会社の営業マンが言っていた。
「大阪では、今はもう新規立ち上げは無理です。数が多すぎます」
無理というのは、成功し得ないという意味だ。あながち、あたっていないわけでもない。ゆえに、勝負したくないヤツはやめた方がいい。金を失うだけだから。
けど、それでも勝負したいという人には、いくらでも知恵を授けてあげられる。他に勝負する術を持っているのなら、そちらの術で勝負することをお勧めする。他に勝負する術がないという人をこそ、僕は僕の全てでもって支持したい。(25.4.30)
理恵が電話をかけてきた。本名は敏子、意外と地味な名前のせいか、彼女自身はその名前があまり好きではないって言ってたっけ。
電話は、仕事の悩みだ。続けるべきかどうか、迷っているという。
「普通より高いお金をもらう以上、少しは我慢しなければいけない部分もあるのはわかっているんです。けど、その少しを果たして我慢するべきかどうか、わからなくなっちゃったんです」
結局のところ、たとえ少しの我慢であろうと、その我慢をしてでもその仕事で働く理由があるかどうか、理由がなければ引き返すべきだと思う。逆に、もし理由があると思うのなら、常にその理由を確認することが大事。我慢するに値するほどの理由かどうか。
僕はそんな話をした。
「話したら、ちょっと楽な気持ちになったかも」
最後にそう言って、彼女は電話を切った。さらに言えば、いつでも引き返せる状態に位置しておいたほうがいい。
僕がなぜこんな話をするのか。他のヤツと一緒にされたくないから。というのも、一緒にされたくないと思うヤツが多すぎる。On the Border Line--.(25.4.12)
成功する方法、これを話すのは難しい。ましてや、成功に絶対はない。けど、失敗しない方法なら、いくらでも話すことができる。数多くの実例を見てきているから。しかも失敗者の実例は共通化することができる。比べて成功者の実例を共通化した場合、どうしても抽象的な言い回しになってしまう。例えば、スピード感、営業力など。
自惚れていうわけではないが、この業界に関してなら、僕はおそらく日本でトップ3に入るほどの行政書士だろう。だが、ときどき聞かれることがある。
「どうして京都なんですか」
東京なら違和感がないのだろう。しかし、京都ではイメージがつかないに違いない。けど、僕は実は東京出身。去年の秋、東京の同業者に言われたことがある。
「先生、一緒に組みません? いえ、ぜひ組ませて下さい」
彼も風営法専門。いずれ僕は東京へ帰ることになるだろうが、今はまだちょっと京都に未練があるかな。たいした街じゃないけどね。
僕がどっぷり京都人だったら、大阪や名古屋から依頼者は訪れてきやしないだろう。京都府外からの依頼が多いのも、実は京都人っぽくないから。京都って、そんな街なんだ。(25.1.30)